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<<   作成日時 : 2013/02/08 22:55   >>

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いつだったかTVを見ていると、

ドナルド・キーン氏が
話をされていて…、


その中で、



「日本の高等学校の教育も悪いんです。

近松も読まない、西鶴も読まない。


入学試験にパスしたら、
文学を読まなくなる!… 」


みたいなことを
おっしゃっていまして。




おっしゃる通りで。

日本人として
お恥ずかしい話でございますが、

近松も西鶴も
きちんと読んだことはありません。



源氏物語?

そんなものは「須磨・明石」までなんて
とんでもなくて、

「桐壺」で挫折しましたわ(笑)


ストーリーの全ては
コミックで覚えました。




近代の文学も…


私は夏目漱石の「坊っちゃん」ですら
きちんと読んだことがないです。




でもね、


私は、そういうのを「ちゃんと読め」って
実は、学校でそう教えられてきたんです。



でも、やらなかった。

興味もなかったし、



その当時、私だけじゃなくて
私たち生徒の多くは、


すべての基準が

「入試に出ますか?出ませんか?」で、


入試に関係ないと思われるものは
すべて切り捨ててしまおうとしていました。


じっくり向き合って読むのではなく、

どうやって
いかに速く解くか

そればかりを考えていました。



国語って現代文にしろ古文にしろ
出典が膨大ですから、

知っている文章に遭遇するほうが
マレですし、

入試問題として
一部を切り出してくるわけですから、

その全文、全ストーリーを知っていると
逆にその知識はジャマになってしまいます。


その範囲に書いていないことを
解答に盛り込んでしまう危険性が
出てきますから。


なので、
わざわざ膨大な数の文章を
そのために読むのは


時間対効果が悪いと思っていました。







今なら思うんですよ、

一体、自分たちは
何を焦っていたのだろうって。



教師は、今とは違って
本当にもっとどっしりと構えていました。


「はあ?入試?」ってな感じで。



「そんなの入試に関係ない」って
言えば、


「はあ?

入試終わってからの人生のほうが
ずっと長いんですけど。

この程度のことは
常識として知ってていいんじゃないですか?」


とよくたしなめられました。



そんなこと言ってるから
だからうちの学校、進学実績が悪いじゃん。

他の学校、もっといいじゃん。

もっと熱心に受験対策しようよ


って生徒がいくら言っても、


結構、どこ吹く風って感じでした。



「まあ、うちの学校の周りって、
遊ぶところいっぱいありますからね〜^_^;」

とか。


目の前にエンターテイメントがいっぱいあるのに
それを我慢して禁欲的に受験勉強するって、

どんな罰ゲームよ〜。

お前ら、頭おかしいんじゃないか?


とでも思ってたんじゃないかな〜
ってくらい

本当に気の抜けた反応でした。




彼らは、

目の前のただ1点に
近視眼的に集中しがちな私たちに


「もっと人生という長いスパンで考えろ」


ってことを言いたかったのだと


それがわかったのは、

それからずっと先のことです。




今なら、いろんなことが

先生が言われていたことが

本当によくわかるのです、



この年になってやっと…。




ある意味、この年齢にならないと
わからないのかもしれない。








古典の先生に、
「文楽ぐらい、1回見ておかれたらどうですか?
大阪にあるんだし。

どんなものかだけでも知っていれば、
話のネタにもなるでしょう?」

と言われたことがあります。


先生企画の
文楽観賞会とかもありました。


でも、任意だから行かなかった。


一緒なら解説までついた
豪華カルチャースクールだったのに。



でも、ホント、
マジで今行かないと

もうなくなっちゃうかもしれない。



(劇団四季は、同じ時期に
音楽の先生企画の

「ミュージカル観賞会」で
連れていってもらいました。


初めてみた「CATS」は

「こんな世界があったのか…」と

それはもう、震えが来るくらい感動しました。


今ではしっかり、友の会の会員です…^_^;)





歌舞伎だとか文楽だとか
能や狂言など

日本の伝統芸能については



興味がないというのを言い訳に
本当に何1つ知識がないのです。


持とうともしませんでした。


文楽と人形浄瑠璃って
何が違うの?

とかを、
平気で言うような人でした。


でも、
興味がないからって
スルーできたのは、


それは、
「いつもそこにある」

という根拠のない安心感

というのも
大きいような気がしています。



何もせずに
100年単位の時を越えて
それらはそこに残ってきたわけではない。



「どんなものかだけでも知っていれば」


それは今、
とても大きな意味を持つことだったのだと

ようやくわかってきたところです。





                                                   

あの頃はまだ子どもだったから、

ほとんどの言葉が
わからなかったのです。



でも、今、この年齢になって

それを受け入れるだけの素地ができて、

そうしたら
ストンストンと入ってくる。



先生が、
自分の中で「せんせい」から
「師」になる瞬間なのかなと
思えてきます。




教育って
本当に時間がかかるものなんですね。



受験指導はその場で結果がでます。

長くてもせいぜい1年とか2年とか。



でも、本来の教育というのは
決して数年で結実するものではないと。



何十年という時を経て初めて
実を結んでいくことも多いんだと…

改めて思うのです。




つきぐまJrたちは、


残念ながら、

学校も教師も
とても浮足立っているかのように見えることが
多かったです。


とにかく
受験受験受験って感じで。





それも大事なのだけれど、



でも何十年後かに
何かが心にすとんと入るような教育を

彼らはちゃんとしているのだろうかと。



私の恩師たちに関しては

目の前のことに拘ってあたふたと焦る生徒を
教師がセーブして諌めてクールダウンさせて


って役割を担ってくれて


そして、伝えたいこと、伝えるべきことは
きちんと伝えていたと思うのです。





今は、教師のほうが
煽って来る感じあるし。




この世代が
自分くらいの年齢になったとき、


すとんすとんと胸に入るような言葉を
ちゃんと受け継いでいるのかと、


正直とても気になっています。





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